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田形祐樹
田形祐樹
伊勢法律事務所所属・弁護士。趣味・伊万里探検,登山,旅行,社交ダンス,献血・骨髄提供,断食,面白い人と会うこと。夢(難易度小)世界一周旅行(難易度中)海外未踏峰に初登頂(難易度大)医者として外国の僻地に赴くこと


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2008年09月24日

「日本大使館に電話してくれ」

「日本大使館に電話してくれ」
アジア旅行記(1年前)2007年9月24日
アゼルバイジャン・レンケラン→イラン・ラシュト
この日は,アゼルバイジャンを出国。2回目のイランへと向かいます。
元日本留学生のシェイグさんと別れ,国境へ,乗り合いタクシーで。
そして,国境を通過する前にハプニング発生。
以下は,私が,所属する山岳会
http://yuukitagata.sagafan.jp/e37344.html
の会報に投稿した文章です。「である」調ですが,その方が緊迫感が伝わると思い,そのまま以下に掲載しました。
なお,冒頭の写真は,問題となった,アゼルバイジャンのビザです。9月24日にスタンプが押されているのが分かります。
*******
アゼルバイジャンから国境を越え,イランに抜けようとしている時であった。国境近くで,警官に「パスポートを見せろ」と言われた。警官は外国人のパスポートを見る権限はあるということ,国境近くは通常警戒態勢にあることなどを私も知っていたことから,素直に応じた。
その警官は,私のパスポートを見て「ビザの期限が切れている」という趣旨のことを言うではないか(実際には,そんなことはない。その後の,出国審査でもビザについては何ら問題なく,アゼルバイジャンを出国できた。税関で賄賂要求されたが,これは,突っぱねたら諦めた。立場の弱い?イラン人は払っていたが)。「ははあ,賄賂を欲しがっているのか」と思った。彼は「署まで一緒に来い」と言う。本来,警察署まで行ってしまうと,もっと面倒なことになるし,逃れることができないので,ノコノコ警察署まで付いていくべきではない。しかし,パスポートを取り上げられてしまっているからどうしようもない。この時点で,わたしも,まずい状況になってきたと思った。
署内では,取調べを受けることになった。といっても,むこうはアゼル語及びロシア語で,英語は話せない。だから,お互い,意思疎通ができず,もどかしい。むこうも苛ついてくる。「ロシア語が話せないのか?」とロシア語で聞いてくる(このロシア語だけは,旧ソ連圏の国で,何度も言われたので覚えた)。
私も必死になり,ガイドブックをひっくりかえして,なんとか「ビザは切れていない,誤解だ。かくがくしかじかだから,ビザは有効だ」と言おうとするが,それにあてはまるロシア語は,ガイドブックに出ていない。仕方なく英語で話すが,通じるわけがない。
「日本大使館に電話してください」というロシア語は,ガイドブックに出ていた。ガイドブックには,外国の警察は,日本人を拘束すると,日本大使館に連絡する必要があると書かれていたし,日本大使館の館員に,電話を通じて,通訳してもらおうと私は考え,この言葉を,警官に言ってみた。しかし,「だから,なんだ」という対応で,電話をしてくれる様子がない。ここから,大使館があるバクーまでは電話がかからないなどとも言う。
次に,旧ソ連圏を旅行してきた日本人旅行者からもらった「国際人権警告書」を彼らに見せた。それは,日本語,英語,ロシア語で「日本大使館に連絡しないと国際協定違反である」というような趣旨が書かれている文書である。これは,公文書ではなく,勝手に日本人旅行者がワープロで作成した物で,旧ソ連圏に出没する不良警官対策のシロモノなのである。しかし,彼らは,これに対しても「だから,なんなんだ」という対応である。
八方ふさがりだ。この時点で,私はパニック状態になり,半泣き状態だった。その時は,このまま行方不明になっても,日本の誰も,自分に何が起こったかわからないだろうな,もしかしたら殺されるのではないかなどと,最悪の事態も考えてしまった。あのような,いつ解放されるかわからない状況では,そう思うのも無理からぬところがある。
むこうも,賄賂の申し込みをしない私に手を焼いたのか,取調べは一時中断。私は,警察署の入り口ホールに,椅子に座らされ晒し者状態で待機することになった。このときも,警官が監視でついていた。トイレに行くのも監視つきである。警察署に入ってきた,地元のアゼルバイジャン人の多くが,私の方を,馬鹿にしたような,軽蔑したような言動をとっている。警官の一人は,私が必死でガイドブックをひっくり返して,調べ物をしようとしている時に,私の顔とガイドブックの間に手を入れてきて,邪魔をしたり,私の足を軽くこづいたりしたりする。
今回の旅で、このような仕打ちを受けたのは、後にも先にも、この機会だけだったので、非常に大きなショックを受けるとともに、恐怖を感じた。
しばらくして、中学校の英語の先生という人が、通訳として来た。彼も交えての取り調べとなった。しかし、私が訴えたいことを、警察側にうまく伝えてくれない。
警察は、私のパスポートの全ページをチェックする。全く関係のないバングラデシュの出入国についてイチャモンをつけてくる。なお、アゼルバイジャンは隣国アルメニアと現在も戦争状態にあり(停戦中)、アルメニアとは犬猿の仲である。私は、警官がパスポートを調べ始めたとき、アルメニアのスタンプを見つけるとまずいなあと思っていたら、案の定、見つかってしまった。彼は「なんでアルメニアに行ったんだ!」と詰め寄ってくる。「観光だ」。
通訳は「彼は非常に優秀で熱心な警官で、あなたのためにベストを尽くすだろう」などという趣旨のことを言う。私はガックリしてしまった。彼は20分くらいしたら、帰ってしまった。私は、彼が最後の命綱と思い、引き留めようとしたが、無駄であった。
その後、入り口ホールで座らされて、待たされることになった。といっても、いつまでこの状態が続くのか、次は誰が来るのか、など全くわからない。つかまったのが午前10時で、現在午後5時。考えてみたら、食事どころか、飲み物もとっていないし、彼らも、それを与えてくれない。
やがて、上役のような人物があらわれ、「もういい。行け」という素振りをする。何の理由の説明もない。ああ、やっと解放された、という安堵感でいっぱいであった。もちろん、理由もききたいところだが、そんなことをしたら、さらに向こうの怒りを買い、拘束が続くかもしれない。こんなところから、一刻も離れるのが先だ、ということで、卑屈にも「スパシーバ」(ロシア語で「ありがとう」)などと言って、警察署から出て行った。
この件については、絶対に、バクーの在アゼルバイジャン日本大使館に文書で報告しようと思っていた。しかし、旅の忙しさにかまけて、旅の途中では報告せず、とうとう日本に帰国してしまった。当時、恐怖の中でも、担当者の名前が、名札でわかったので、それを指に書いておいてメモしておいた(メモ帳に書いても没収されるかもしれないので、メモ帳には書かなかった)。
今回の件は、弁護士を職業としていく私には、貴重な体験となった。いつまで続くかわからない拘束への恐怖、公権力の横暴そして言葉の通じない心細さ。
この件は、今回の旅で、最大のトラブルかつクライマックスであったと言ってよいだろう。
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なお,以下の地図が,私が拘束されていた警察署の場所。このままでは,何か分かりませんが,「写真」に切り替えると,そこが,まさに,私が拘束されていた警察署の建物です。


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この記事へのコメント
田形先生、伊万里では、おせわになりました。有田の前田です。相手方の支払いが悪いので、2月で、こちらから切ってやりました。先生にはお世話になったのに、残念です。余談ですが、逃げたのか思いました。そちらでの子活躍期待しております。
Posted by 前田一夫 at 2013年05月26日 14:21
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